鉄瓶の修理第四弾は
銅フタの京鉄瓶 っぽい本体は山形県でつくらたと思う鉄瓶です。
京都には鋳物師がいたという話は聞いたことがないのですが、京鉄瓶は多いです。
主に関西と東北でつくられていましたが鉄瓶に限らず作風、デザインが京都風なのは山形でした。
関西の鋳物はロウ型という作り方で東北の鋳物とはまったくことなっていました。
山形と京都の繋がりについて
山形県の庄内地方は江戸時代に紅の大産地で京都と交易が盛んでした。
紅バブルの時は金と同等の価格だったそうです。そして紅で大儲けした庄内の豪商は京都の文化品をこぞって集め国へ持って帰りました。モノだけではなく人も行き来しましたので庄内地方の言葉はだんだん京都弁に似てきたということです。
今でも京都風の言葉をしゃべるのだと私の師匠は言っています。師匠は庄内の骨董商のなかでも大御所の人間ですのでおそらく間違いないと思います。
鉄瓶の本体は山形で作り、銅フタは京都の名前で大阪、兵庫、富山県で造られていることが多いです。富山は今も銅加工では今も一番です。
今回も綺麗に修正されました
底からは水漏れも有りましたが、替え底修理(まったく同じ底を作って、底だけ切り取って新しい底と取り替える作業)をしないですみました。漆と鉄を混ぜたものでの修理。フタもロウで艶出し。これでまた日常使いができます
以上です。
有難うございました。
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